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母を責めてはいけないのです。 [病気]

曽野 綾子さんの「安心したがる人々 」から引用させていただきます。
「しかし谷選手(柔道)のこれまでの生活が、それほど偉いとは、私は思わない。
母親としての暮らしと厳しい選手としての生活とを同時にやってのけたことは、
確かに意志の弱い人にはできないが、
その程度の辛い生活に耐えた人は世間にいくらでもいる。
谷選手には、その厳しさに華々しく報いられる場があった。
しかし年老いてぼけた自分の母親を、何十年も介護し続け、ほとんど自分の人生を犠牲にしながら、
誰からも注目されず、もちろんメダルももらわなかった人の方が、私はずっと偉人だと思うのである。」

「辛い生活」に耐えた後は、明るい未来がある。
少なくともマイナスになることはないでしょう。
「辛い生活」を選択したのは自分であるはずです。

ところが、介護などの「辛い生活」には明るい未来はありません。
表彰されることもあるはずがありません。
自分の生活、いや人生を犠牲にして耐えるしかありません。
介護で人間的に「成長」するかもしれませんが、他の方法で成長する方がいいに決まっています。
介護による「辛い生活」を選択したのは自分ではありません。

母も父も白痴のおかげで「辛い生活」を送ってきました。
父はそのため入院。
母も疲れ切っています。
その3人を私が背負うことはできません。

なんとかしないといけない。
今、私の人生の危機、底、でしょう。
這いあがれるか、否か。

お金が必要です。
犯罪でも、、、なんていふ考えが浮かんだりします。
どうせ死ぬなら、、、、。

memento mori(ラテン)
「死を想え」「死を忘れるな」という意味の警句。
古代ローマでは、「今を楽しめ」という意味で使われたが、
キリスト教世界では、現世のはかなさを覚え、
来世に思いをはせるように勧める言葉となった。

父も母も白痴も私も、このような運命に生まれたのでしょう。
美輪明宏さんがお書きになった本に「正負の法則」というのがあります。
父も母も「負」をたくさん経験してきました。
母はよく言います。
「地獄の淵を歩いてきた。」と。
その「負」に見合った「正」が人生の最後に来るのでしょうか?
それとも父と母は来世で「正」にめぐりあえるのでしょうか?

どうも世の中不公平じゃありませんか。
でも、広い世界を見渡すと、日本に生まれて運が良かった、幸せ、と思わないといけないかもしれません。

今日も「あちらこちら命がけ」(坂口安吾)で頑張ろうと思います。
朝の頭は「明るい」なあ。



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