SSブログ

内田樹「街場の教育論」 [本]

p49~
 さきほど「どうしていいか分からないときに、どうすべきかの目鼻をつける」というわかりにくい言い方をしましたけれど、こういうことは私達の日常においてはしばしば起こることです。しばしばどころか、私たちの人生で決定的に重要な場面というのは(プロポーズされるとか、親の死に目にあうとか、いきなりハイジャックにあうとか)、すべて「こういう場面ではどういうふうにふるまうのが適切であるかについてガイドラインもマニュアルもない局面で、なお適切にふるまうこと」を私達に要求します。
 「どうしていいかわからないとき」に適切にふるまうことができるかどうか、それがその人の本源的な力が一番はっきり現れる瞬間です。

p114~
 子どもは学校に通うようになって、まず最初に、先生の言うことと親の言うこと(あるいは近所の大人たちの言うこと)が食いちがうということを知ります。それが最初の葛藤。やがて、その先生も親もそれぞれがやっぱり言っていることが首尾一貫していないことを知る。これが第二の葛藤。

p116~
 六〇年代から七〇年代はじめの全国学園紛争にかかわった学生活動家たちのかなりの部分は、闘争から償還したあとに、(「日帝打倒」とか言っていた手前もあり)資本主義的企業に就職することを潔しとせず、その相当数が教師や予備校・学習塾の先生になりました。統計的にしらべた結果があればたいへんおもしろいと思うのですが、この時代の学習塾・予備校は「高学歴かつ反権力」という先生たちで文字通り「汗牛充棟」というありさまでした。東大全共闘の議長だった山本義隆は駿台予備校で物理を教えていましたし、べ平連お小田実は代々木ゼミナールで英語を教えていました。彼らのネームヴァリューを慕って集まってくる予備校生たちもたくさんいました。

p122~
 今から二十年くらい前ですけれど、スキーの夜行バスを東京駅で待っていたことがありました。夜の十時頃です。一人の外国人が改札口を出てあたりをきょろきょろ見回している。そして、娘と二人でスキーをかついで立っている私を見つけると、まっすぐやってきて(三〇メートルくらい、人ごみをかきわけて)、「ちょっとお願いしたいことがあります」と言ってきた。新幹線で大阪から着いたのだけれど、車内にコートを忘れてしまった、というのです。それで、私が彼を駅の事務室に連れて行って、乗ってきた列車とだいたいの座席の位置とコートの柄を伝え、探してもらってコートが無事発見された。どうもありがとう。どういたしまして、ということでお別れしたのですが、後から考えて不思議だったのは、どうして東京駅の雑踏の中で、「英語が通じて、手助けをしてくれそうな人」を彼が一発でみつけたのか、ということです。でも、そういうことって、やっぱりわかるんですね。窮地に追い詰められると、そういうことについてのアンテナの感度が上がる。

p124~
 「いいから、教えろよ」とせっついても教えてくれません。ものを教わるときには、きちんと敬意を以って接することが必要です。「お願いします」というのが「ものを教わるときのマジックワード」です。

p207~
 以前にある大手の出版会社の編集者四人とご飯を食べているときに、ちょうど就活シーズンでしたので、編集者たちに「みなさんはどういう基準で、面接のときの合否をきめているのか」と訊いたことがあります。そういう人事にかかわる重要情報を聴きだして、学生たちに教えてあげようと思ったのです。
 その編集者の方はどなたも、これまでに数百人の面接をしてきた経験者たちです。彼らが異口同音に言ったのは「会って五秒」で合格者は決まるということでした。
 受験者がドアを開け入ってきて、椅子に座って、「こんにちは」と挨拶をしたくらいのところで、もう○がつく人には○がついている。残りの時間は、×をつける人に「どうやって気分よく退室していただくか」のサービス時間なのだそうです。就職試験に落ちた人だって、その後ずっとその出版社の潜在的な顧客なわけですから、「もう一生あの出版社の本は買わない」というような気分で去られては困る。だから、落とすことが決まっている人を相手にしたときは、なんとか話題を盛り上げようとする。そして、にこやかな雰囲気のうちにご退室ねがう。よく、面接の後で、「いやあ、すごく話しがもりあがっちゃってさ」と満面喜悦の人に限って落ちているということがあるそうですが、舞台裏はそういうことなんです。
 逆にもう○をつけちゃった人には「用がない」わけです。別にとくに話すこともない。だから面接官も気持ち「巻き」で面接をする。面接官がなんだか早く終わらせようとしているので、ああ、もう落ちたと思っていたら、なぜか通っていたんです・・・・・という感想を聞くこと、これもよくあります。
 でも、「会って五秒」でどうしてきめられるんでしょう。そもそも、何を見て決めているんでしょう。これが就活をしている学生たちには理解不能なんですね。
 でも、それはわかるんです。この人といっしょに仕事をしたときに、楽しく仕事ができるかどうか、それを判定基準にしているから。

///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

確かに、昔の代ゼミの講師のレベルは高かった。
講師には「凄い」方ばかりがいらっしゃった。
でも、今は、、、、、、、、、、。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0