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芥川龍之介「蜜柑」が読みたくなるとき。 [日記]

今日の夕飯はコンビニで済ませました。
セブンイレブンでおにぎりを買いました。
割引されているおにぎりばかり3個買いました。

たまり醤油の焼きおにぎり 115円 値引額 -15円
十勝産小豆の赤飯おこわ  126円 値引額 -26円
照焼ソーセージおむすび   138円 値引額 -38円

今、照焼ソーセージおむすびを食べようとしているところです。
コンビニの「おにぎり」は「おむすび」という感じではないです。
「おむすび」は、母がつくるもの。
「にぎりめし」は、オヤジがつくるものという感じが、します。

さて、あと三日でYゼミの一学期が終わります。
予備校講師になって一番つらい一学期でした。
「何がつらいんだ」とおっしゃるのですね。
つらいことは、たくさんありました。
ここ何年か授業中笑えないんですね。
こんなことやっていて、何になる。
来年はどうするんだ。
他の予備校に移る気はありません。
Yゼミで予備校講師はおしまいです。
下流生徒に勉強を教えるより自分の勉強がしたいのです。
それに、今だに足の引っ張り合いをしているYゼミ講師を見るのも厭です。
昔の自慢ばかりする、Yゼミ講師も厭です。
腹がでている不健康なYゼミ講師も厭です。
広い教室の一番後ろに座る生徒も厭です。
定員が156人なのに、教室にいた生徒が29人(18.5%)であるのも厭です。
1時間目から5時間目の生徒の合計が、30人にもならないというのに、危機感を感じていない講師が厭です。
「ぼくたちの正月は3月だ」という張り紙が厭です。
また、その張り紙がいつまでも張ってあることが厭です。
予備校講師を夢みていた、過去の自分が馬鹿です。
授業中髪の毛をいじっている女子生徒が厭です。
ノートをとるのが遅い生徒が厭です。
小学生レベルの語彙力しかない生徒が厭です。
島崎藤村を「しまざきふじむら」と読む生徒が厭です。
BUTを「ブット」と発音する生徒が厭です。
自分の授業を切った奴と校舎内で擦れ違うのが厭です。

同い年の従兄弟は電通に勤めています。
うらやましくてしようがありません。

昼飯がいつも不味いのが厭です。
職員のヨレヨレの服装が厭です。
生産的な仕事をしていない職員が厭です。
職員同士のクダラナイおしゃべりが厭です。
ただ立っているだけの時間が多い職員が厭です。
頭がわるそうな仕事をしている職員が厭です。

授業中、腕を組んでいる生徒が厭です。
授業中、足を組んでいる生徒が厭です。
授業中、ノートをとらない生徒が厭です。
授業中、注意をすると、次の週から授業に出なくなる生徒が厭です。

100人は入る教室に1人しか生徒がいないのが厭です。
しかもその生徒が教室の一番後ろに座っているともっと厭です。
そんな状況でマイクを使って授業をするのが、馬鹿みたいで厭です。

90分の授業をするのに、往復4時間もかけて移動するのが厭です。
90分が2コマだけなのに、家に帰れず、ホテルで4泊する破目になる講習会が厭です。
90分1コマだけで、5日間もある講習会も厭です。

朝の9:00から10:30まで授業をやったら次の授業は夜の7:00からなんていう時間割で講師を使うのが厭です。
東大卒の講師を優遇するのが厭です。(これは仕方がない。東大行きたいっ!)

こんな気分のときは、芥川龍之介の「蜜柑」を読みます。
文庫本で6ページくらいです。
おしまいの部分です。↓

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 しかし汽車はその時分には、もうやすやすとトンネルをすべりぬけて、枯れ草の草の山と山との間に挟まれた、ある町はずれの踏み切りに通りかかっていた。踏み切りの近くには、いずれもみすぼらしい藁屋根や瓦屋根がごみごみと狭苦しく建てこんで、踏み切り番が振るのであろう、ただ一りゅうのうす白い旗がものうげに暮色を揺すっていた。やっとトンネルを出たのだと思う―その時のしょうさくとした踏切の柵の向こうに、私は頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立っているのを見た。彼らは皆、この曇天に押しすくめられたと思うほど、そろって背が低かった。そうしてこの町はずれの陰惨たる風物と同じような色の着物を着ていた。それが汽車の通るのを仰ぎ見ながら、一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高くそらせて、なんとも意味のわからない喊声を一生懸命ほとばしらせた。するとその瞬間である。窓から半身を乗り出していて例の娘が、あの霜焼の手をつと伸ばして、勢いよく左右に振ったと思うと、たちまち心を躍らすばかり暖かな日の色に染まっている蜜柑がおよそ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降ってきた。私は思わず息を呑んだ。そうして刹那に一切を了解した。小娘は、おそらくはこれから奉公先へ赴こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾かの蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切まで見送りにきた弟たちの労に報いたのである。
 暮色を帯びた町はずれの踏切と、小鳥のように声を挙げた三人の子供たちと、そうしてその上に乱落する鮮やかな蜜柑の色と―すべては汽車の窓の外に、瞬く暇もなく通りすぎた。が、私の心の上には、切ないほどはっきりと、この光景が焼き付けられた。そうしてそこから、ある得体のしれない朗らかな心もちが湧き上がってくるのを意識した。私は昂ぜんと頭を挙げて、まるで別人を見るかのようにあの小娘を注視した。小娘はいつかもう私の前に返って、相変わらず皹だらけの頬を萌黄色の毛糸の襟巻きにうずめながら、大きな風呂敷包みをかかえた手に、しっかりと三等切符を握っている。・・・・・・・・・・・
 私はこの時始めて、言いようのない疲労と倦怠とを、そうしてまた不可解な、下等な、退屈な人生をわずかに忘れることができたのである。

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