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日本を滅ぼす「自分バカ」 勢古浩爾  [本]

p54 我と汝―相手によって言動を変える
 日本語の一人称には「わたし」「ぼく」「おれ」「自分」「うち」がある。そして二人称には「あなた」「きみ」「おまえ」「さん」「様」「あんた」「貴様」「おたく」「自分」「てめえ」「おめえ」(限定的だが「おのれ」「おまえさん」「おんどれ」など)がある。わたしたちはこれらの人称を、それぞれの関係において臨機応変に使い分けなければならない。
 わたしたち日本人はこの一人称を自分の自由に使うことができない。社会的に許されないのである。平社員が社長相手に「おれ」ということは絶対にありえない。親に向かっては「おれ」といえても、部活の上級生に対しては絶対に言えないのである。だが英語ならすべて「I」である。

p134 サマセット・モームの半自伝的小説『人間の絆』の舞台は、いまから約百年前のロンドンである。主人公のフィリップ・ケアリは、「他人の目に自分がどう映るかで自分を評価する傾向」がある青年である。からは都会の孤独に身をさらして嘆息する。
 日曜日の過ごし方が問題だった。(略)日曜日は寝坊し、曳き船道に沿って散歩するしかなかった。(略)町を行く人々を眺め、その人たちに仲間がいるのを羨ましく思った。あの人たちは幸せなのに、自分ひとりみじめなので、羨望が憎悪に変わることもあった。大都会でこれほど孤独を味わうなど、夢にも想像したことはなかった。
(『人間の条件』)
 洋の東西を問わず、時の古今を問わず、たいていの若者が、いやほとんどの人間が、陥る意識である。わたしにも明確に覚えがある。若いころには、なぜどいつもこいつもカップルなんだと思った。みんななんだか楽しそうではないか。ああ、あの人にもするべき仕事があるんだ。だが俺には仕事がない。かれらにくらべて、おれは、おれは、・・・と自分のなかに落ち込んでしまう。自分を「みじめ」「孤独」という言葉で追い込んでいく。

p163 作家の今野敏は、ある小説の中で、主人公の刑事にこのように言わせている。
「少年少女が荒れる原因のほとんどは、両親の不仲だ。あるいは、両親の無責任・・・。若いころに無責任な生き方をした連中が大人になることを拒否したまま結婚をする。子供同士の結婚には、相手を許す寛容や相手を認める努力が不足する。夫婦は互いに自分の主張だけをぶつけあう。その結果、離婚し、子供はグレル。子供は親同士の会話を聞いて育つ。家庭内に十分な会話がないと、子供たちは、別な場所で言葉遣いを覚えてしまう。両親の会話は、豊かで理性的でなくてはいけない」(『リオ警視庁強行犯係・樋口顕』)

p228 それでもまどろっこしいというのか、「1日30秒」で「新しい自分」をつくる、が出現し、ついには「1秒!」で「財務諸表を読む」、「1秒」の「整理術」、「1秒」で「彼を夢中にさせる」が出てきた。効果の謳い文句も「年収10倍アップ」する、「効果が10倍アップ」する、「10倍速く本が読める」となり、きわめつけは「人生どんな問題も解決する」。もういいたい放題である。現代人が、いかに短期間で、ゼロリスク・ハイリターンを求めているかの表れであろう。

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ゼロリスク・ハイリターンを狙う、、、、、なるほどね。
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